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平成30年度 地域国際化ステップアップセミナーin四国

国際協力で地域活性化

〜地域の強みを活かした、持続可能なまちづくりと国際協力の輪〜

SDG目標11 住み続けられるまちづくり

    

開催日:平成30117日(水)13:0017:20

会場:COMS(松山市男女共同参画推進センター) 5階 会議室5

参加者数:72名(自治体、地域国際化協会、その他/クレア職員・スタッフ含:85

 

【プログラム】

1

13:00-13:10

 開会挨拶 (一財)自治体国際化協会 交流支援部 部長 草壁京

13:15-13:40

SDGs未来都市およびSDGsモデル事業について」

内閣府地方創生推進事務局 主査 大久保淳氏

13:40-14:05

「四国におけるSDGs推進の取り組みについて 〜愛媛県内子町の事例〜」

(公社)セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン アドボカシーマネージャー 堀江由美子氏

14:15-16:00

事例紹介(各25分)

 

事例紹介1「えひめ・スリランカ オレンジプロジェクト」 〜愛媛県の温州みかん栽培技術をスリランカへ〜  

(公財)愛媛県国際交流協会 外国人相談室長 大森典子氏                   

事例紹介2「スリランカ紛争影響地域におけるコミュニティ主体の農業・酪農産業の復興支援」 〜広島県神石高原町の有機農業家と共に

(特活)ピースウィンズ・ジャパン アジアマネージャー 束村康文氏    

事例紹介3「福井県大野市におけるCarrying Water Projectと東ティモール支援」(一財)水への恩返し財団 事務局長 帰山寿章氏

事例紹介4「松山市発!モザンビークとつながる四国のESD(持続可能な開発のための教育)」(特活)えひめグローバルネットワーク 代表理事 竹内よし子氏

16:00-16:10

質問用紙回収・休憩

2

16:10-17:10

パネルディスカッション

ファシリテーター:堀江由美子氏

 パネリスト:大久保淳氏 大森典子氏 束村康文氏 帰山寿章氏 竹内よし子氏

17:10-17:20

 閉会

 

 

■はじめに

  昨今、様々な社会課題が地域で顕在化していますが、中でも少子高齢化、過疎化の急速な進展への対応は喫緊の課題であるといえます。そこで、こうした課題に対応するアプローチの一つとして、地域における国際協力が果たしうる役割について取り上げます。各地域の培ってきた技術や産業などを開発途上国に移転することで、支援先国の発展や持続可能性に資することはもちろんのこと、結果として、支援を行う側の地域にはどのようなインパクトがもたらされるのでしょうか。

 2015 年、150を超える加盟国首脳の参加のもと国連本部で『2030アジェンダ 持続可能な開発目標(SDGs)』が採択されました。目標11では、「都市と人間の居住地を包摂的、安全、レジリエントかつ持続可能にする」と定められており、住み続けられる持続可能なまちづくりの構築は世界共通の課題であると言えます。日本でも、これに呼応して、地域が主体的に「地域のSDGs」を作るという先進的な取り組みも始まっています。そして、内閣府では持続可能なまちづくりのため、地方創生に資する、自治体によるSDGs達成に向けた取り組みを推進しており、SDGs未来都市・自治体SDGsモデル事業制度も開始しています。本セミナーでは、このような地域や国におけるSDGs達成に向けた動きを軸に、国際協力を通じた地域の活性化の在り方を考える機会としました。

 

 


話題提供講演(1)

「地方創生に向けた自治体SDGs推進について」


講師:大久保 淳 氏 
内閣府地方創生推進事務局 主査

 

昨今、SDGsへの関心は国内外で非常に関心が高まっております。そうした中、我々内閣府地方創生推進事務局では、世界の動き、日本国としての動き、それを地方自治体、地方創生とSDGsをどう結び付けていくかについて取り組んでおります。本日のセミナーでは、様々なセッションで構成されておりますので、皆様方の今後の取組内容によい示唆が得られるのではないかと思っています。

まず始めに私から、そもそも“SDGsとは何かというところから、大きな流れについて簡単にご説明いたします。SDGsは、20159月の国連サミットで採択された取り組みであり、「誰一人取り残さない、持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のためということです。前身はMDGs2001年にあり、一般的には、開発途上国によりフォーカスされていました。一方、SDGsは一部の世界にフォーカスしたものではなく、先進国、開発途上国、どんな国でも、誰一人取り残さないというテーマで、ひとりひとりのレベルで取り組んで行くというものです。SDGsが採択された後、日本でも推進するために内閣総理大臣を本部長とするSDGs推進本部が立ち上がりました。今年6月に閣議決定しているSDGsアクションプランは、SDGsと連携するSociety5.0が、世界に発信するSDGsの方向性として掲げられています。SDGsは日本のモデルとしてやるのではなく、世界のモデルとして発信することが重要になっています。今年7月に国連のハイレベル政治フォーラムがあり、サイドイベントして日本の地方公共団体におけるSDGs取り組みについての紹介の場がございました。

地方創生がなぜ必要なのでしょうか。総人口の推移と将来推計をグラフにしておりますが、100年後の推計では、明治維新時代のころまでの人口減少になると予測されています。SDGs実施方針に、地方自治体が記載されているところがあることやSDGs推進本部会合等の場で、内閣総理大臣より地方公共団体における取組の重要性が述べられております。自治体SDGsの推進において重要な要素としまして、SDGsが掲げる2030年のゴールをターゲットにバックキャスティングする中、自治体として地域としてどういうビジョンづくり、体制整備等が重要な要素となっております。経済、社会、環境の三側面の統合を進めることを推進しています。自治体SDGsモデル事業では、経済、社会、環境が相互的に影響しています。地方創生のキーワードには、民間企業がSDGsをどう取り入れているか、官とどう連携しているかなどがあります。これらについて、国際フォーラムを開催する予定です。官民連携プラットフォームを、8月に内閣府で立ち上げました。そのなかで分科会を立ち上げ、いろいろな事業を具体化していくことに取り組んでいます。SDGs未来都市の選定を5月に行いました。官邸で認定式を行い、10事例には補助金を活用したモデル事業を推進いただいております。地方創生SDGs官民連携プラットフォームには、法人格を持っていれば誰でも参加できます。情報発信も行っているので、ご興味ある方は、ぜひ参加ください。環境未来都市構想に国として取り組んでいます。松山市は環境未来都市や環境モデル都市に選定されています。環境課題、高齢化、地域独自のテーマに取り組むことが、地方創生につながっていきます。

 

 


話題提供講演(2)

四国におけるSDGs推進の取り組みについて 

〜愛媛県内子町の事例〜

講師:堀江 由美子 氏 

(公社)セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 

アドボカシーマネージャー

 

私はセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンというNGOで政策提言を担当しています。2012年頃からMDGsが終わった後の、SDGsの策定プロセスにNGOの立場から関わりました。夫が地域おこし協力隊として内子町に行くことになったので家族で引っ越し、四国で仲間と共にSDGsを考える場を作ってきました。現在の内子町は、2005年に平成の大合併で3町が合併し誕生しました。多くの地方自治体と同様、人口減少が課題となっています。全国的に内子町が知られているのは、木蝋で栄えた時代の伝統的な商家が残っていることです。合併前の各町のお祭りは、今も脈々と受け継がれています。内子町で、老朽化が進んだ古い町並みを残す運動が生まれました。行政のキーパーソンが担当者になったことから、運動に勢いがつきました。また、町が元気でいるためには、周辺の村も元気でないといけません。町並みも後継者不足に悩んでいますが、若者がゲストハウスをオープンするなど、新しい動きが出てきています。社会と経済と環境のバランスが取れた地域づくりは、SDGsにあった取り組みです。住民の帰属意識と主体性が、地域づくりには重要だと感じています。

内子町では、総合計画が最上位計画に位置付けられています。そこでは、町づくりの主要戦略と、シンボル・プロジェクトが選定されています。また旧内子町の総合計画で掲げられたエコロジータウンが、合併後の内子町にも引き継がれました。現在の環境基本計画は、住民参加の策定委員会で作られています。また、内子町まち・ひと・しごと創生総合戦略では、転出超過を半分に縮小することと、合計特殊出生率を1.6に引きあげることを掲げています。41ある自治会すべてで10カ年の地域づくり計画書が作られ、これが総合計画の基礎となっています。町の広報誌は魅力的な誌面で、今年、内閣総理大臣賞を受賞しました。農林業の再生は、「内子フレッシュパークからり」が中心となり、内子町産にこだわった農産物、トレーサビリティなどを導入し、雇用創出や女性の経済的自立にもつながっています。2015年には国土交通省の全国モデル道の駅に選ばれました。さらに町では、現在歴史的風致維持向上計画の策定に取り組んでいます。ドイツ・ローデンブルグ市とは2001年に友好都市盟約、2011年に姉妹都市盟約を結びました。201511月には、内子町でSDGsを考えるシンポジウムを開催し、その後の四国内での一連のSDGsセミナーでは地域資源を生かした社会づくりを行うことが地域の活性化につながるというビジョンが共有されました。役場職員の研修も行いました。内子町は早い段階からSDGsを発信してきたことから、注目されるようになりました。しかし、SDGsを政策に取り入れているわけではなく、住民にもまだ知られていません。課題としては、まだ地方ではSDGsが広がっていないことが挙げられます。まずは行政職員からだと思いますが、どう住民へ広げるのか、人材や予算をどうするか。サポートしてくれるNPOや大学なども重要です。地方自治体で、SDGsを単にマッピングするのではなく計画に盛り込み、取り組む意義は大きいです。国際的には、発信力が強化できます。課題先進国といわれる日本から発信することは重要です。

 

 

事例報告(1)

えひめ・スリランカ オレンジプロジェクト 

〜愛媛県の温州みかん栽培技術をスリランカへ〜


講師:大森 典子 氏 

(公財)愛媛県国際交流協会 外国人生活相談室長

 

地域の国際交流協会として主な活動の柱は、多文化共生事業、姉妹都市交流あるいは今回ご紹介する国際協力事業の3本柱と言われています。近年は国際協力に取り組む、財政的体力のある国際交流協会は少なくなっているのではないかと思いますが、当団体ではさまざまな予算を確保しながら、国際協力事業を実施することができています。その実践例をご紹介したいと思います。当協会では2006年からスリランカの支援を行っています。温州みかんと水産加工品であるじゃこ天を使って事業を実践してきましたが、今日は温州みかんに焦点を当ててお話しします。今年7月の西日本豪雨が記憶に新しいと思います。みかんの花が6月に満開に咲いていて、とても香りがよかったです。それが今、被災地でも10月に入って立派な実を付けています。このみかんがそろそろ出荷され、日本全国に出回る予定です。復興に取り組む農家さんを応援する意味でも、ぜひご購入ください。

私たちが温州みかんの栽培をスリランカで取り組むにあたって、国際協力事業というのは私たちサイドがやりたいと思っているだけでは仕方がありません。相手国にニーズがあるか、財源を確保できるか、それを提案する私たちに十分な体力、能力があるかをきちっと図った上で取りかかる必要があります。当時、愛媛大学に来ていた留学生から、スリランカが国を挙げて柑橘類の栽培に取り組んでいる現状を聞き、農業省が実際に、そういうプロジェクトを実際に立ち上げているということも精査しました。財源は、自治体国際化協会の助成金です。愛媛県は江戸時代の終わりから、柑橘栽培が始まった長い歴史があります。培ってきた経験と知見があります。どこに持って行っても誇れる知識と技術があります。そのような条件がそろって、私たちは、スリランカの農家の所得向上を図ることを目標にとしました。私たちがプロジェクトを立ち上げたときは、スリランカ国内は紛争状態でした。事業をはじめるにあたり、どこをカウンターパートナーにするか悩みました。当時の内戦状態で農家の方たちが大きな被害を受けていました。国情から考えると、NGOと手を組むことは非常に難しかったので、スリランカの農業省をカウンターパートナーとしてプロジェクトを推進していくことにしました。推進にあたっては、専門家の指導を通して技術移転、人材育成をすることがとても大事で、ここが肝でした。愛媛県には農林水産部に専門家がいますが、私たちが思い描くような計画に沿って、その人数の限られた専門家たちを動かせるか、距離的に近い愛媛県庁でありながら了解を取るのは容易ではありません。そこは交渉です。県庁に行って国際交流協会の初めての国際協力事業の取り組みとしてやりたいことを、熱意を持って伝え、協力を取り付けるというところから始まりました。その結果、農林水産部みかん研究所の研究員の方々の参加を得ることができました。今年で16年目になります。

相手国の人材育成と技術移転を進めると同時に、それを推進してくれるチームを作ることが大切です。そこで、スリランカからリーダーとなり得る長期研修生を受け入れることから始めました。スリランカに行って、一人一人面接をして基礎的な農業の知識があるかどうか、所得向上を図るという最終目標に到達できるような気持ちを共有できるかどうか、人選をしました。何をするにしても省庁のトップの理解がないといけないということで、スリランカの農業局長をはじめとして、実現に欠かせない関係者へ丁寧に事業説明をしました。顔が見える信頼関係を専門家以外の数多くの人たちとも結び、事業への理解をもってもらうことが大切です。みかんは実が結ぶまで最低5年、定量の収穫が得られるまで10年かかります。その間にぶれることなく、地元の方に応援してもらいながらプロジェクトを進めていくためには、たくさんの人を巻き込む必要があります。その時に専門家だけではない、私たちのような国際交流協会が経験したいろんな人を繋いでいく交流プログラムも組み込んでいくことにしました。

1年間の作業をマスターしてもらうために、面接で選んだ長期研修生の受け入れに続き、予算の許す範囲で、総勢10名の短期研修生を受け入れました。長期研修生を核として、その人たちと一緒に柑橘をつくる責任あるチームを作りました。1年の研修が終わった後、温州みかんを中心として、愛媛の柑橘の苗350本をスリランカに送りました。送った後は、試験植樹です。植物なので検疫があり、一定期間、試験圃場で栽培をしないと、一般圃場には出してもらえません。約5年間、隔離圃場でスリランカ農業省の観察の下、スリランカに入れてもいいものどうかの検査を受けました。適地選定のプロセスに入って、実際にみかんができて、これならいけるだろうと品種認定になりました。スリランカの農業省として推奨するので、スリランカ全土のどこに植えてもいいですよということになりました。そこから一斉に接ぎ木の技術をいろんな人に伝承して、産地化を図れるようになりました。2013年が一区切りになりました。ここまできたらスリランカに主導権を渡そうと決めていました。その様子を見ていたスリランカ政府から中央高地だけではなく、沿岸で津波の被害を受けたり、国内紛争で被害を受けた人が住んでいる地域で魚を活かした水産加工技術の指導をしてくれないかという提案があったので、それに切り替えチェレンジしてみることにしました。

適地選択作業の過程で、「こんなみかんが欲しかった」という通りのみかんができました。オレンジ色で甘くて、種がなく、簡単に手で剥ける、スリランカの人たちが望むサンプルみかんができたことが大きな励みになりました。もっと接ぎ木をして増やしていこうという動機につながりました。スリランカから来た研修生は、愛媛県八幡浜市で研修を受けています。急な斜面にびっしり植えてあるみかん畑を見て歓声を上げました。愛媛はこんな急斜面の丘陵地に隙間なくみかんを植えて、50年選手のみかんの木からこんなにたわわな収穫を得ている、豊かな実を結んでいると。農家の方たちが愛情込めて手入れをしていることに感銘を受けています。研修生は、みんな頭の中にこの景色がこびりついています。だからこそ、チームの合言葉は「ここに八幡浜をつくる」になったのです。そして、スリランカに主導権を渡して3年後、産地を訪ねると、スリランカに八幡浜を再現したような段々畑のみかん畑が見事に作り上げられていました。スリランカ農業省バンダラウェラ研究所の畑には、愛媛の協力でつくったと説明する立派な看板も設置されました。スリランカ農業省で、どんな人にも接ぎ木の技術やみかん栽培を教えてあげよう、作りたい人にはみんなに作ってもらおうと、ビデオも製作されていました。習った技術を自分のものにして、それをたしかに次に伝えるという、知識も技術も身についているということが確認できました。スリランカは紅茶の産地で、広大な園地があります。一大産地をつくるということで、紅茶畑の横の園地に大量にみかんの苗木を植え始めています。NHKや愛媛新聞などメディアでも取り上げていただきした。開始当初から現在に至るまで指導いただいている農業指導者が、スリランカの畑を見て「ここまで、本当によくやったと思います」と喜んでくれました。愛媛にゆかりのある海外在住の人たちがたまたま見て、支援してくれるといううれしい反応もありました。聞いてくれる人がいる、共感してくれる人がいるということは、事業をやっている人には大きな励みになります。

愛媛のみかん農家の担い手の方にもスリランカに行っていただきました。その人たちも現地で大きな刺激を受けて、愛媛のみかんはグローバルスタンダードということで、GINZA SIXにお店を出したり、農業法人を立ち上げたり、これがきっかけで若い人たちが農業は自分たちの新しいビジネスになるということに気づいてくれました。ひとつ蒔いた種がいろんなところに広がっていくということを紹介したいと思います。いろんな人たちに応援されてできたスリランカの愛媛みかんです。「セレンディピティ」というのは何が起こるかわからないけれど、一生懸命やっていれば道は開けるという意味ですが、セレンディピティというのはアラビア語でスリランカという意味です。セレンディピティの力を信じて、いいと思ったことを続けてきました。これまでの取り組みを精査しながら、また新たなフェーズに入っていきたいと思います。

 

 

事例報告(2)

スリランカ紛争影響地域におけるコミュニティ主体の農業・酪農産業

の復興支援 〜広島県神石高原長の有機農業家と共に〜

講師:束村 康文 氏 

(特活)ピースウィンズ・ジャパン

 

本日のお話は、自治体国際化協会モデル事業で2015年に実施させていただいた、神石高原町とピースウィンズ・ジャパンが連携してスリランカで実施した事業があるのでそのことと、その後の経過、こんなことをしたいということについてお話したいと思います。私は、長年海外にいたのですが、7年前に戻ってきて、アジア事業のマネージャーをやっています。スリランカは経済成長率が4%です。内戦が長く続き、1983年から2009年までありました。地図で色がついているところが、占拠されていたところで、私もここに住んでいたことがあります。反政府エリアと政府エリアを、行ったり来たりしていたことがあります。内戦中は多くの人が避難民キャンプに住んだり海外に出たりしていましたが、定住促進というか、元の地域に帰って農業を復興したり、自分の仕事に返っていき住み始めるということが始まりました。

ピースウィンズ・ジャパンは、現在11か国で活動しており、これまでに26か国で活動しています。現在は、11か国に現地駐在所があり、スタッフがいます。アジア、中東、アフリカで、紛争、災害地の復興支援や、アジア地域では主に開発の活動をしています。2013年に東京にあった事務所を、神石高原町に移し、本格的に国際協力と国内の地域振興や、災害救助犬の育成、プラスチック・ゼロの活動をやっています。

2009年にスリランカで内戦が終わって、まず何が必要でしょうか。米を作っている農家の方が多く、長い戦争のなかで、ため池など灌漑設備が壊れていたので、修繕することからはじめました。現地には農業組合のようなものがあり、その農業組合と話しながら、それぞれの農業組合が持っているため池を改善することから始めました。4年くらい経ち、緊急支援から復興、開発のフェーズに入ってきましたので、農業組合と協力して精米所をつくって、農業組織が自分たちで収穫した米を精米することを支援してきました。酪農家が多い別の地域では、酪農組合が独自に牛乳回収をしており、なおかつそこで加工品を売っていく運営支援をしていきました。活動が続いていくなかで、神石高原町との出会いがありました。自治体国際化協会の支援で、2015年にスリランカから神石高原町に招聘事業を行いました。現地の農家や酪農家の方が、今後どういうふうに前進していけるかというのが課題になっています。

日本とスリランカの状況はだいぶ違うと思いますが、日本の団体がスリランカに出かけていって活動をしていて、私たちの本部がある神石高原町の村づくりがあるなかで、そのふたつを相乗効果が生まれるように繋げられないかという気持ちがありました。まずスリランカの人たちに来てもらいました。5日間くらい6名の方が来られました。私たちが活動している地域は、2つの民族にまたがった地域です。少数派のタミールと、多数派のシンハーで、宗教も民族も違うし、言語も違います。そのふたつの民族がバランスよく暮らしていける社会が、非常に大事です。私たちが支援するなかでもバランスよく支援する必要があり、ふたつの地域から来てもらいました。言語が違うので、通訳の私たちスタッフも2名来ることになりました。有機のコンポストづくりに取り掛かることになりました。神石高原町は有機農業が非常に盛んなので訪問をさせていただいたり、農業関係の高校で講演させていただいたりしました。なかでも来てくれたスリランカの人たちが興味を持ったのが、有機農家を訪問した時でした。今回のモデル事業で、日本で交流してアクションプランを作っていこうと。今後、スリランカでどんなことをやっていくかということを、議論するというのがありました。そのなかで一番目に挙がってきたのが、有機農業でコンポストづくりをやっていこうというものでした。スリランカは途上国ではありますが農業国で、農薬が政府の支援により安く手に入ります。その影響で病気が流行っていると言われており、スリランカ政府も今後、農薬を使わない農業を推進していこうとしている背景があります。スリランカ全国に伝わっている伝統有機米があり、栽培し販売すると、普通の米より高い値段で売れます。そういう経緯もあり、ぜひ有機農業をやっていきたいとなりました。モデル事業は1年で終わりましたが、その後、独自の交流が続き、日本からスリランカへ、3年間、専門家に行っていただきました。有機農家の方に専門家として現地に行っていただき、日本の有機農業の現状や堆肥づくりのお話をしていただきました。スリランカと日本で有機農業をしている人が交流することで、新しいアイデアが生まれていきました。

2017年がひとつのターニングポイントになりました。今後どんなことを目指そうかという声が、農家や団体スタッフから出てきて、有機農業を始めたい人への融資を始めました。非常に小さなプロジェクトで、現地で60万円の融資を受けて、有機堆肥をつくるために、とうもろこしの茎を粉砕する機械を買ったり、きのこ栽培用の小屋の修繕に使ったり、ポンプを買いました。5つの農家があり、どの農家も関心の高い方なので、非常によかったと思っています。今モニタリングをしていますが、有機堆肥の質が良く、売れるようになっているので、貴重な資金源になっています。

もうひとつ出てきたアイデアは、現地でモデルファームをつくろうというものです。対象としている地域が、もともと戦争をしていた地域で、今でも避難していた人が徐々に帰ってきて、新しく定着し始めています。そこで農家のモデルとなるような農場を作って、そこで農家の方が参考にして活かしていくことを考えています。その地域が酪農家の多いところなので、牛ふんで堆肥をつくりその堆肥を活用して作物を栽培して販売し、収益金でモデルファームを運営することにトライしています。20181010日からモデルファームでピーナッツの栽培が始まり、農業研修も始まっています。モデルファームは、2019年から本格化していきます。モデルファームを運営するうえで、神石高原町の方にどう参加してもらうかということを考えました。神石高原町では有機農家8軒が集まって、有機の里構想というプロジェクトを立ち上げています。地域の活性化に何ができるかと考えた結果、自分たちが持っている技術や強みを生かして、魅力化を図って人を連れてこようと、関心のある若い人たちを研修で受け入れています。2人が研修を終えて独り立ちして地域で有機農業を始め、更にもう1人、研修に参加しています。空き家と耕作放棄地が多く、限界集落のところなので、研修で地域との関係をきちんと作って、地域で信用を得ながら技術を身に付けていって、定住していくことをやっています。

今後はアジアの国際協力と農業の地域づくりを、どういうかたちで結びつけて、お互いに相乗効果をつくっていくかをイメージしています。今はスリランカだけですが、今後はネパールやミャンマーなどが加わっていくイメジです。戦争の影響を受けた地域、マイナスから出発した地域をどう上に押していくかは、きっかけが必要だと思います。そこでモデルファームをつくることで、農家の方々が農業を再開することを考えています。一方で、神石高原町では少子高齢化や過疎化が進んでいる地域です。そのなかでも有機農業が地域の強みになっていて、いろんな専門家もいらっしゃいます。そういう方々が専門家として現地に行ったりとか、スリランカの研修生が神石高原町に来て研修することで、地域の方々と交流を深めたりとか、それがひとつの国際化の魅力として捉えていくことを考えています。

私たちは国際協力から始まり地域につながりましたが、NGOとして海外でやっていきながらいつも思うのは、日本のことをよく知らないことです。私はマネージャーで20代くらいの世代の育成を担っていますが、現地で開発協力を行っていくうえで、我々日本人は日本の地域をもっとよく知っていく必要があるのではないかと強く感じます。私は10年くらい海外に出ていましたが、ある程度のところで限界が見えてきて、日本に帰ってきて日本の地域の一人としてやっていく。近所の付き合いがあって、そこでお祭りがあったり、そのなかで農業をやっていくと気づくことがたくさんあります。日本の地域での暮らしと途上国での活動は密接に関係してくると思います。私たちのスタッフだけでなく、神石高原町の若い人たちも参加してもらって、お互いに行ったり来たりできる関係性ができるようにしていきたいと思っています。農業は食料を確保し、農家の生計を確保し、生態系を守るという、農業を営むこと自体がSDGsにつながっていると思います。神石高原町の方はあまりSDGsを知らないと思いますが、世界的なSDGsの動きと自分たちの暮らしや自分たちがやってきたことがつながっているということはとても大事です。ピースウィンズ・ジャパンが関わることで、地域の人たちが世界につながっていくということができたらいいなと思っています。

 

 

事例報告(3)

福井県大野市におけるCarrying Water Project

東ティモール支援

講師:帰山 寿章 氏 福井県大野市 

(一社)水への恩返し財団 事務局長

 

私は財団法人の事務局長をしていますが、大野市職員でもあります。今までは地下水保全の仕事をしてきましたが、そのなかでこれからお話しする内容を行政だけでやっていてもだめだろうということで、今後は行政と支援の機能を一緒にやっていくことが大事だろうと、今年4月に財団法人に派遣になりました。

大野市は440年以上前に金森長近が城を建てて街をつくりました。その街がそのまま残っており、都市計画はされていません。堀や町民の生活用水は、全て湧き水で賄っていました。お城、武家屋敷、町民、お寺で使う湧き水がすべて決まっており、440年ずっと湧き水で暮らしています。国土交通省の大野市の地下水の流れのシミュレーションでは、大野市だけで河川も地下水も完結している結果が出ています。大野市は人口33,000人で12,000戸近くありますが、そのうち8,0009,000が、自分のところの井戸を持っています。上水道の普及率は3割ありません。ほとんどの人がミネラルウォーターで生活しています。ごはんをつくるのも、トイレも、車を洗うのも、ほとんどが地下水に頼り切って生活しています。愛媛県西条市も打ち抜きの水で有名です。地下水が豊富にあり、ほとんどの住民が地下水に頼り切っていますが、440年前から現在までずっと豊かだったかというと、そうではありません。昭和40年代後半から高度経済成長期になり、大野市は繊維産業が盛んで約200軒の工場がありました。工場がどんどん地下水をくみ上げて使ったり、生活用水がその頃、汲取り式トイレが水洗になり、風呂に2日に1回しか入らなかったのが毎日入るようになりました。大野市は特別豪雪地帯に指定されるほどの豪雪地帯ですが、今年の1月〜2月で1m50cm2m、山の方に行くと約3mの雪が積もりました。地下水は温かいので、融雪に使います。それぞれの家でくみ上げた水を屋根にあげて、屋根に積もった雪を溶かします。それをしないと年に3回〜4回、屋根に上がって雪下ろしをします。降ろした雪が道を塞いでしまうので、のけないといけません。冬の間にどんどん使った結果、地下水位が低下して湧水が枯れました。市街地に8,0009,000の井戸がありますが、そのうち1,000以上が枯れてしまいました。これをなんとかしないといけないと昭和50年前半から、いろいろな地下水を守る取り組みをやってきました。行政が中心ではなく、それを憂いた一般の主婦の方などが大野の水を守る会をつくりました。いろいろな取り組みをしたことで、地下水保全に少しずつ成果が表れました。その時に、どこの市町村もそうですが、地方創生や人口減少対策を一斉に取り組み始めました。大野市も今は33,000人の人口ですが、多いときは45,000人いましたがどんどん減ってきて、このままでは市自体がなくなってしまうので、なんとかしないといけないとなりました。地方創生をしましょうとなった時に役所内で話をしたところ、大野市には今でも豊かな水があります。金魚鉢のようなものの上にお城や田んぼがあるのが、大野市のイメージです。豊かな水に恵まれているけども過去には湧水池の枯渇という困難があり、それを結(ゆい)の心で乗り越えました。結の心というのは向こう三軒両隣、近所同士助け合いの心で、いろんなことをやったと思います。その助け合いの心によって、地下水枯渇の困難を乗り越えてきました。  

この教訓を日本や世界に発信して大野市に目を向けてもらえる取り組みをしましょうということで始まったのが、「Carrynig Water Project」です。Carrynig Water Projectは、大きく5つに分かれています。東ティモール支援の話をこれからしていきます。その次に行ったのが水のがっこう、レストラン、水環境保全顕彰や都市計画の拡大です。水のがっこうは、また同じようなことが起こってはいけないと水の大切さ、ありがたさを小さいうちから子どもたちに知ってもらうために始めました。この「水の問題を解いたきみはノーベル賞をとるかもしれない!」は職員が考えて、世界の水問題をどうしたら解決できるかというのをテーマに作った本です。日本ユニセフ協会にお願いして、全国の小学校、中学校、高校、特別支援学校の約4万校に配布していただきました。市内だけではなく、県内、県外でもこの本を使った出前授業を行っています。職員を派遣することもできます。

水への恩返しをするためには、水をなんとかしないといけません。81日は水の日と言われています。昨年81日の日経新聞に1面広告を出しました。水を大事にしようと、一自治体が考えているということを発信しました。今年81日にも新聞広告を出しました。最近はガソリンより水が高くなっています。隣の国と水で戦争になる国がたくさんあります。そういった水問題に、小さな市ですが一石を投じることができればと、活動を行っています。その一番柱にある東ティモール支援ですが、なぜ始めたかというと、豊かな水がある大野市が地方創生の一環として実施していることも事実ですが、豊かな水のある大野市が水のない国を支援することで、大野市民が水の大切さを再認識するのではないかと支援を始めました。支援先は日本ユニセフ協会とお話しし、東ティモールになりました。東ティモールは、2002年にインドネシアから独立した新しい国です。まだインフラ整備ができていません。支援するにあたってユニセフと話し合い、年間10万ドル、だいたい1,100万円を3年以上できれば一緒にやりませんかという話になりました。どうやって10万ドルを工面しようかということになり、みなさんから集めた税金を使う訳にはいかないので、市内の飲み屋さんやパン屋さん、コンビニなど、いろんなところに募金箱を置きました。いろんなところをこういう取り組みをしたいからと回ったところ、募金や寄付で2年間はなんとか集めることができました。今年は3年目ですが、だいたい800万円くらいなので残りなんとか200万円を集めて、市の税金も含めてやることになりました。

東ティモールはだいたい関東4都県と同じ面積で、人口が120万人です。主な産業はほとんどありません。平均年齢が異常に若く、1人の女性が生む子どもの数が6人です。ただし子どもが生まれても大人になる率が低いです。きれいな水がないので、皮膚病になったりすることで、どうしても大きく育ちません。水の支援が非常に大事になっているということなので、支援することにしました。山にダムを造ってパイプで水を村まで引いてきて、町に蛇口を設置する取り組みです。大野市は、2つの県に6つの水道施設を作りました。道らしい道はありません。現地のユニセフの車に乗せていただいて、現地へ行きました。ほとんど車がすれ違えないような場所です。支援した町は、山の上にずっと村があります。インドネシアに攻められた時に下では逃げられないので、上にいるとどこから敵が来たかわかるので逃げることができるので、ほとんどの村がこうなっています。村に引いている水は竹を半分に割り、これをつないで村まで水を引いています。水源地に行こうと、山道を2時間くらい歩きました。私たちはトレッキングシューズを履いていきましたが、現地の人は裸足で、よくてビーチサンダルです。水源地に行くと、ほとんどの現地の人が待っていてくれ歓迎してくれました。水源から離れているところから水を汲みに行くのに1時間〜1時間半かかります。朝と夕方に、子どもがポリタンクを持ってきて水汲みをしています。水道施設ができたことで水源地にダムができ水道タンクを設置し、村に蛇口ができました。子どもたちの水汲みの仕事がなくなったので、学校に通えるようになり、学校が新しくなりました。学校のトイレに水洗の洋式トイレが設置され、大変驚いていました。現地のお医者さんに聞いたところ、伝染性の皮膚病がなくなったそうです。学校の先生に聞くと、学校が今まで埃だらけだったのが綺麗になったと言いました。子どもに水がきたら何をしたい?と聞いたら、お花に水をやりたいと。今までは自分たちのご飯の分だけの水しか汲んでいなかったけど、これからはお花に水をやって、自分の生きるものだけじゃなく他のことにも水を使いたいと返ってきました。水道タンクは全部で6基作っていますが、年2基のペースです。新しく作ろうとしているところは、細い川を集めてダムを造ります。インドネシア時代に作られた水道らしいタンクはスマトラ沖地震で使えなくなってそのままになっています。直す技術も、道具も材料も全くありません。壊れてしまったら、次の支援を待つという状況です。今後は、水を通じた支援だけではなく、現地の職業訓練校から今年3月には大野市に来ていただき、水道の技術を学んだり、今後どのように交流していくかについて市長と話をしました。材料も技術もないところなので、今後は技術的な支援が何かできたらと思っていますし、2020年のオリンピック、パラリンピックでは、選手たちと交流できたらと思っています。

 

 

事例報告(4)

松山市発!モザンビークとつながる四国のESD

(持続可能な開発のための教育)

講師:竹内 よし子 氏 

(特活)えひめグローバルネットワーク 代表理事

 

えひめグローバルネットワークは、19984月に国際協力勉強会として発足し、今年で20年を迎えました。法人化は2005年です。国内外を問わず、地球規模の視点で捉えることを大事にしているグローカルな団体です。活動のモットーは、当初「Think globally act locally」でした。リオサミットから10年経った2002年のヨハネスブルグのサミットで、10年経ったけど環境は悪化し、「なぜ悪化したの?」という問いに、「change personallyがなかったからだ」と言われました。つまり、私たち11人が社会を変えていく、社会が変わるということは11人が変わるということなのでchange personallyが大事だということです。それ以来、地球規模で考えて地域で活動をしますが、「自らが変わっていきましょう(change personally)」をモットーに付け加えています。

活動内容は大きく4つです。ひとつは国際協力でモザンビークの活動支援、フェアトレードの推進、武器アートの展示です。環境保全は、大川の清掃、東雲公園のコミュニティファームです。持続可能な開発ための教育ESDについては、講師派遣やセミナーを開催するということで、今回も自治体国際化協会さんと一緒に開催させていただいていますが、このような勉強会も開催しています。四国地方ESD活動支援センターも運営しています。最近比重が大きくなっているのは、ネットワークやパートナーシップの促進です。外務省NGO相談員を受託して、15年になります。四国地域では、NGO相談員を受けているのは、えひめグローバルネットワークだけです。今回発表されたピースウィンズ・ジャパンも中国地方のご担当ということで、全国のネットワークNGOが国際協力を推進していったり、ODAに関する情報提供や、いろいろな勉強会を開催したりしています。ODAについても、なかなか理解が進んでいません。外務省は、他の省庁と違って地方に出張所を持っていないので、私たちNGO相談員が代わりにODAのことも紹介しています。

環境省四国環境パートナーシップオフィスという事業があります。略して四国EPOと言いますが、事務所は高松に本部があり、EPO受託当初から、四国4県に事務所を置きたいと希望を持っていました。四国EPOは、3年で期が変わっていきますが、今4期目の3年目、つまり12年目を迎えています。4期目に入ってから各県に窓口を設けました。ネットワークづくりの拠点が四国にあると考えていただけたらと思います。四国EPOは、環境教育等促進法という法律の中に位置づけられて、環境省が民間と連携して運営すると決めて、全国8か所にあります。環境系の情報はこちらのサイトにいっていただければ、四国を網羅していると自負しているので、ご覧ください。

四国地方ESD活動支援センターは、ESDは「持続可能な開発のための教育」ということで、2002年のヨハネスブルグのサミットの時に、当時の小泉首相が提唱しました。2005年から2014年の10年間、ユネスコがリード機関となって取り組んだ国際的なキャンペーンです。ESDは、今日のテーマにあるSDGs4番に入っています。私自身は、団体設立のところで申し上げたとおり、国際協力の勉強会から始まって、勉強していくなかで11人が変わっていく必要があるということ、そのためにESDが重要であるということで、ESDに取り組んで15年になります。四国の中で最初にESDの勉強会を開催したのも松山市で、その後、四国各県で取り組んでいます。その中で、えひめ311や、えひめリソースセンターというような、他のNPOとの連携も進んでいます。

さらに、ESDの中にはGAPGlobal action plan)というものがあります。その中のひとつにあるユースの活動支援の一環で、「wakuwaku-youth」や「新居浜グローバルネットワーク」など、新しく若い人達がつくった団体の活動支援も行っています。

2014年に国際会議が岡山と名古屋で開催されましたが、それに向けて四国4県で3年間、「ESDモデル事業」を行いました。これがきっかけで四国各県の教育委員会との連携も深まりました。ESDセンターは環境省だけでなく、文部科学省も一緒になって設置されています。省庁連携が進んでいる一歩だなと感じています。その実践は「四国のESD3年間の歩み」としてまとめています。

さて、私が国際協力に関する勉強会の時にたまたま出会った国が「モザンビーク」で、なぜ支援するようになったかというと、モザンビークに「銃を鍬へ」というプロジェクトがあり、市民が主体となった平和構築活動が行われていたからです。この活動に感銘を受けて、松山市からも支援のために放置自転車を送る活動を始めました。現地の人々が銃を回収する、私たちは松山から自転車等を送り、現地の人たちが主体となって武器を自転車に交換する、という活動の後押しをすることに参加したことが最初でした。

モザンビークの大きさは日本の約2.1倍の大きな国です。人口は、今は2,800万人でどんどん増えています。内戦が終わった当初は1,300万人ぐらいだったので、20数年で倍になっています。宗教はキリスト教が多く、続いてイスラム教、現地宗教などがあります。部族が43部族あるので、部族間の問題はないのか、宗教の対立はないのかと思われるかもしれませんが、宗教観は日本に似ていて、それが原因で問題になったりということはありません。非常に平和的な友好的な国民性を持っています。言語は、ポルトガルに支配された歴史あり、公用語がポルトガル語です。村に行くと、村ごとの現地の言葉になります。成人の識字率が58.8%となっていますが、内戦が終わった直後は10%だったと言われているくらい、戦争中に学校に行けなかった大人たちが今も字が読めません。お父さん、お母さんが、自分の名前すら書けないという方がたくさんいらっしゃいます。余命は55.5歳となっていますが、これも年々伸びています。私が関わるようになった15年前は、まだ3738歳でした。今は少しずつ健康状態が良くなったり、平和が保たれているということかなと思います。HIV感染率が15.5%ですが、地域によって差があります。高いところでは2割くらいのところがあります。人間開発指数が181で、下から数えて10番以内に入る国ということで、指数からみると最貧国という位置づけをされています。

日本が10何位というところから考えると、想像もつかないような違いがあると思ってください。1500年代頃からポルトガルに支配された歴史を持ち、1960年代に独立戦争を起こします。1975年に社会主義国として立ち上がりますが、当時の冷戦状態の元、旧ソ連からも資本主義国からも武器が入り、反政府軍を煽る動き、それに対抗してたくさんの武器が流入しました。子ども兵が生まれたと言われる国でもあります。独立を果たした翌年から、政府軍と反政府軍の戦いが始まり、内戦と言われますが、私は代理戦争と説明しています。そこには、先進国で作った武器がどんどん流入し、モザンビークの国をずたずたにし、経済も破壊されたという状況があります。その当時、モザンビークでは銃を1丁も作っていません。1992年に内戦が終わってモザンビークの平和が訪れ、今現在に至るまで戦争は起きていません。平和の定着という意味では、アフリカの中では非常に優秀な国だとされています。モザンビークの支援をしている団体が非常に少なく、自転車を送っただけの活動をした団体は全国あちこちにあるのですが、続けているところが他にありません。

2008年に東京であったアフリカ開発会議の後に、大統領が愛媛を訪問されました。2008年に、国家元首が初めて愛媛を訪れたことで、モザンビークと言えば愛媛、愛媛といえばモザンビークと言われるようなことが起きています。その時に愛媛大学で講演をしていただいたことをきっかけに、モザンビークの大学と愛媛大学が交換留学や研究交流などが続いています。こちらも10年続いています。愛媛大学から学生がモザンビークに行き、モザンビークから留学生が愛媛大学に来ています。

経済面からいくと、GDP成長率が8%とありますが、2000年以降からだいたい年78%の経済成長で、都市部は非常に発展してきました。高層ビルが立ち並び、どこも日本車やいい車がどんどん入ってきています。都市部の開発は、目を見張るものがあります。一方で、えひめグローバルネットワークが支援しているのは、そこから約100km離れたシニャンガニーネ村です。村に行くと、全く違います。水に非常に困っていて、水源地から水を運びながらの暮らしが今も続いています。

「銃を鍬へ」プロジェクトは、現地で市民団体キリスト教評議会が中心となって武器を回収し、自転車やミシンと交換しました。集まった武器の一部は、アーティストによって武器アートに生まれ変わりました。武器アートは、現在は聖心女子大学グローバルプラザでも展示をしています。

自転車は、現在は送っていませんが、送るときに高校生に手伝ってもらって修理をしたり、ユネスコスクールとなった新玉小学校の子ども達と一緒に自転車を磨き、メッセージを書いて送る活動をしてきました。松山市内には、ピーク時には16,000台を超える放置自転車がありました。現在は、6,000台以下くらいになって、放置自転車の問題はだいぶん解消されていると思います。現地に送った自転車は、村の人たちに喜ばれました。「銃を鍬へ」という活動から、松山市の自転車を送る活動を、私たちは市内の学校でESDのひとつとして紹介してきました。平和構築で終わりではなく、まちづくりや、シニャンガニーネ村における持続可能な開発ということで、女性のグループと一緒にフェアトレード商品の開発にも取り組んでいます。

この時、(投影資料の)女性は2009年に松山に来ていますが、18歳で小学校7年生を卒業したので、中学校にいけませんでした。それで研修で松山に呼んで、小学校や中学校訪問をしながら、松山とモザンビークをつないできました。その村の中で「友情」という名のグループが立ち上がり、商品開発に取り組んでいます。ESDリレー刺繍では、女性たちのグループと、何かできることをやろうと取り組んだものです。女性たちは自分の名前すら書けなかったのですが、刺繍を通じてESDを覚えました。ニューヨークでSDGsの会議をやっている時も、女性のグループと共にSDGsの刺繍をやっていました。ニューヨークでするだけではなく、シニャンガニーネ村でもやるんだということで、「誰一人取り残さない」取り組みの実践としてやっていました。リレー刺繍の取り組みについては、今年の高校の家庭科の教科書に掲載されています。

現地でもミシンを置く場所や学べる場所が必要だということで、昨年度「公民館」を村の人たちと一緒に建てていきました。資金については、クラウドファンディングを活用し、200万円くらい集めました。自主事業の部分で、どこからも助成金をいただかずに公民館を建てました。今は、公民館を活用して栄養価の高くCO2吸収率が非常に高いモリンガを植えて栄養改善をしようとか、雨水を溜めて子どもたちが使えるようにしようとか、いろいろな取り組みをESDの拠点となる公民館で行っています。

このような活動をえひめグローバルネットワークの事務所隣の東雲公園の畑の一部を使って東雲小学校児童と共にさつま芋を植えて、そのお芋を防災訓練に使うような、身近な所でもやっています。まさにグローバルをローカルに、グローカルな取り組みということで、連鎖社会づくりを、えひめ311や東雲町町内会、東雲小学校など、多くの方と一緒に取り組んでいます。

ユースの活動についても、フェアトレードを応援したいという「wakuwaku-youth」、新居浜市では教育委員会が全校をユネスコスクールにして頑張っていますが、新居浜の中から自分もグローカルにつないでいきたいと取り組みを支援する「新居浜グローバルネットワーク」という、兄弟みたいなものができました。こうしたユースの活動についても応援しています。

私たちはESDに取り組んでいるために、MDGsの流れもSDGsの流れも、本流の中でずっと関わってきました。世界の動きと日本の動きと、日本の中でも外務省、環境省、文部科学省といった省庁と関わって、今では消費者庁や林野庁などいろんなところがESDに取り組み始めています。ESDを軸にしたかたちで、17番のパートナーシップで横に手を広げて取り組んでいます。こういうかたちで、皆さんとESDSDGsを語り合える時代がきたことを、大変嬉しく思います。学校との連携、自治体との連携だけではなく、経済の部分も考えていかないといけません。JICAにご支援いただいて、一緒に「NGO×企業」で、フェアトレード商品の開発を実施しています。経済、社会、環境という言い方がありますが、私たちは、足元にある環境を優先した経済をつくれる社会にしたいと思っています。

 

 

 

 


パネルディスカッション

ファシリテーター:堀江 由美子 氏

(公社)セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 

アドボカシーマネージャー

 

堀江氏:たくさんの質問をいただいているので、時間に収まる限りお答えしたいと思います。まず、それぞれの活動のなかで、広報の高い効果を得ることができたのか、NPONGOの支援者の拡大や寄付の増加につながったでしょうか。また、自治体国際化協会のモデル事業の助成金は、事業のどの部分に活用されたのかについて、お話しいただければと思います。

 

束村氏:一番大きかったのは、町のなかで地域の人との関係づくりができたことです。支援者をどう捉えるかですが、ピースウィンズ・ジャパンは国際協力の支援をしていて、地域の人材や経験が海外の活動にとっても非常に大切な資源だったりします。さまざまな方と知り合って、さまざまな技術と出会ったというのは、すごくよかったと思います。モデル事業をどの部分にということで、ピースウィンズ・ジャパンで支援しているスリランカの事業があり、そのなかで2015年に村づくりの視察でスリランカから来ていただき、地元で交流したり、視察することでアクションプランを作成しました。ここがモデル事業を使わせていただいた部分で、それをきっかけとして展開して活動が広がっていきました。

 

帰山氏:広報でいうと、私の場合は地方創生を目的としているので、広報がメインです。大野市をどうやって知ってもらうかをメインにしています。例えば新聞広告はお金がかかっていますが、日経新聞はいろんな企業の方が見てくれています。広告を出して、東京のいろんな水関係の企業周りをして取り組みに賛同してほしいと話をすると、新聞を見ましたというところから話が盛り上がって、東京の企業からも寄付を合計で数百万円いただいています。市の職員があんなにクオリティの高いものができるかというとできないので、皆さんが知っているようなプロの方を頼んで広報に力を入れています。それが寄付につながっています。

 

竹内氏:広報力がアップしたかについては、松山市と一緒に自治体国際化協会の助成をいただいて、ESDのカリキュラム作りの事業を実施したことで、広報力もアップしたと思いますが、それよりも信用度がアップしたように思います。松山市と連携してNPOがカリキュラムをつくる、学校の現場の協力を得てやったというのは、大きな布石となりました。寄付につながったかという点でいくと、大統領が来られた時はものすごく報道に取り上げられたこともありますし、市民からの遺贈というかたちで今の事務所もいただいたというのがあるので、大きくステップアップにつながったと思います。ひとつ付け加えたいのは、自治体国際化協会の助成を受けて松山市とやった後に、松山市国際交流協会と一緒に、市の職員の方が松山国際交流協会に「ESDコーディネーター派遣制度」をつくってくれたことです。これが、予算規模でみると、そんなに多くはないにしてもすごく活用できて、その後もいろんな学校に一緒に訪問してPRできたという点で、広報力というか信用度と共に活動がしやすくなったと思います。

 

大森氏:広報については、私たちの事業は協会自身の公式のウェブページで発信するというのが基本です。それと国際協力フォーラムを2回開催しましたが、第1回目の時には、スリランカ平和構築及び復旧・復興担当日本政府代表の明石康先生に来ていただいて、私たちの取り組みが本当にこの方向で正しいのかを確認しました。その時に言われたのが、ひとつの国で国内紛争があるような、とくに民族紛争が原因になっているような国を支援するときには、公平性を大事にしないといけないと言われました。そして、それを俯瞰できるような立場の、例えばJICAであるとか、そういうところと連携して私たちの事業がその国において、どの位置にあるのかということを確認する必要がることを言われました。そういう意味において、柑橘プラス水産加工分野での事業を実施できたのは、公平性の視点から見て軌道修正ができたのではないかと思います。事業の目的については、私たちの原点はスリランカの農家の人の所得を向上するというのがありましたが、事業を立ち上げた当事、後継者不足に苦慮する柑橘栽培農家の人たちを元気づけたいという思いがありました。「あなたたちがされているみかん作りというのは、世界で通用する大切な技術なのですよ」ということを伝えたかったので、私たちが所属する経済労働部だけでなく農林水産部へも垣根を超えて足を運んで、研究所の専門家を通して農協の方とか農家の方たちに、できるだけ私たちの取り組みを知ってもらうように広報をしました。

資金については、今日のセミナーを主催してくれている自治体国際化協会に感謝をしています。スタートからこの事業は13年目に入っていますが、その中の10年間を支えてくれたのが、自治体国際化協会の資金でした。上限が300万円で潤沢な資金ではないですが、それに私たちの自主財源を加えて、毎年工夫をしてやってきました。300万円という予算規模が、私たちの協会の身の丈にぴったりはまりました。例えば他団体からもお声かけいただきました。1,000万円単位でもらった時に、私たちのような小さな協会で多文化共生事業もやり、姉妹都市交流もやり、いろんな事業を抱えて職員が10名足らずで運営するなかで、大きな予算をもらったときにどう動いたらいいのかわからなくなります。その後の事務処理も、本当に大変です。私たちの身の丈にあった予算で立てた計画に、スリランカに納得してもらいながら実績を上げていくということを、最初に話し合いました。愛媛県が補助事業として支えてくれた時期もあります。良い事業だからここで切るのはもったいないと、少しだけでも出してあげようと支援をいただいて、しのいできた状況です。

 

堀江氏:時間が押していますが、もう一つ質問をいいでしょうか。内閣府の大久保さんにいただいている質問です。社会、経済、環境の3側面を統合的に取り組むとありましたが、環境分野がない取り組みもあるのではないかと。環境部門が入ってない場合に、SDGsに取り組んでいると言えないのでしょうか。人口が減少していくなかで、政府の取り組みとしては中心部に集まるコンパクトシティなどを促進しているような動きがありますが、これは地域、地域での持続可能なまちづくりと逆行しているのではないでしょうか。

 

大久保氏:ひとつ目の質問の、3側面が統合しないと自治体のSDGsにならないのではないかというご質問と受け取っていますが、そういうことではなくて、あくまで自治体のSDGsモデル事業に取り組むにあたって、3側面の統合を意識してくださいと書かせていただいています。3側面が統合されていないと自治体がSDGsに取組んでいないということではございません。自治体SDGsモデル都市の昨年度の選定基準では、基準の中に、3側面の統合を意識した取り組みの記載を必須化しております。全部で125点の配点がありますが、3側面を強く意識している関係で、配点が各10点と高くなっています。環境だけではなく、経済も社会にも影響していく、3側面の統合を自治体により意識をして作っていただきたいという趣旨です。人口減少の件について、コンパクトシティだったり、国土交通省や他の省庁でも、東京一極集中やいろんな地域課題に対していろんな施策を打っています。内閣府で取り組んでいる地方創生のSDGsは、まさに人口減少に自治体、地域の企業、金融機関などが、それぞれがSDGsというゴールの下、力強く取り組んでいっていただきたいという意味です。ある自治体では、高校を卒業すると大学進学で都心部に出て、そのまま就職してしまうというところなのですが、地域の企業に魅力がある、力強いブランディングをすることによって、大学で都市部に出たとしても、また就職のときに戻ってくるようなモデルを作ろうと取り組んでいる例もございます。

 

堀江氏:みなさまの実践的な事例のなかで苦労されたことは何だったとか、今後の支援活動の計画、どれくらいの地域でされていたのか。若者や住民が協力、参加をして活動をされた事例などのご質問いただいているので、パネルディスカッションの中で、そのあたりにも触れてご回答いただければと思います。改めまして、本日は大久保さんには、SDGsと地方創生の取り組みの関連について、詳しくご紹介いただきました。その後、愛媛、広島県神石高原町、福井県大野市の各地域の特色を活かした地域の取り組みをご紹介していただきました。地域の強みを活かした国際協力が持続可能なまちづくりにどうつながるかというのがひとつと、そこにSDGsが新たに加わったことによって、さらにどのような深みを持たせられるのかということで、パネルディスカッションを進めていきたいと思います。まず大久保さんに伺いたいのですが、日本政府としての地方自治体のSDGsの取り組みを積極的に推進されているのですが、本日のみなさまのご発表を踏まえて、地方発の国際協力について国としてどのようにして日本発のSDGsの取り組みの中に位置づけて、後押しできるとお考えでしょうか。

 

大久保氏:本日のいろいろな方の国際協力の話は、非常によいモデルだなと感動しています。私は冒頭に、そもそものSDGsの国連の動き、日本の話、内閣府の動きを、実際にSDGsの取組をご説明させていただきました。今日発表いただいた事例を、ご参加いただいた方もSDGsのゴール17を分類すると、どこに当てはまるかを考えていただければと思います。これまでも国際協力ということがありましたが、SDGsの共通のゴールがあることで、よりこういった取組が加速していくのではないかなと思っています。今取り組まれている内容が、SDGsのゴールとは無関係と思っている方もいるかもしれませんが、今日伺ったお話しはどれもSDGsにリンクしているなと思います。今回は国際協力ということで、日本の技術の輸出や、海外から来ていただいて技術を学んでいただくとかで、単に技術の一方通行ではなくてインタラクションが起きているということが、非常に重要だと思っています。そういったときに、こういうモデルをよりいろんな地域だったり、海外企業とネットワークがある自治体だったり、海外のさらに別の地域にパートナーシップをつなげていくとか、国際的なネットワークが1地点から多面的に広がって、非常に将来性があるかなと思っています。そういった意味で、今回このようなお話を聞けたというのは、非常に参考になりました。去年からSDGsは盛り上がっていますが、この半年くらいでより加速しています。またこの半年くらいで、さらに加速してくるのではないかと思っています。こういった好取組な事例を別の機会でもどんどん発表していただいて、成功事例を横展開していただければSDGsに留まらず、国際ネットワークを広げていけるのではないかと思っています。そのような取組を、国としても世界的な会議、サミットや国連といったようなところでも発表できればいいかなと思っています。

 

堀江氏:大変力強い後押しをいただいて、心強く思います。事例紹介いただいた方に、いくつか伺いたいと思います。まず、地方から国際協力に取り組むことの意義について、どの事例もすばらしいものでしたが、その一方で見えない苦労があったのではないかと想像されます。最も苦労されたこと、あるいはされていることを伺えますでしょうか。

 

大森氏:私たちの事業は12年前から始めたときからですが、核となっている人とは意思疎通ができますが、新しく加わった人には、仕事の姿勢に対して、目標に対して、もう一度共通理解を図る作業が必要になります。途上国、スリランカと付き合った場合に、私は気持ちの中で、なんというおねだり国家なのだろうと思うときがあります。してもらって当たり前という姿勢が少しあり、重機が何台欲しい、トラックが何台欲しいということが、具体的に農業省から上がってきます。そのたびに、私たちは国ではなくて、日本の中の1自治体なのですよということを言って、私たちが支援に使えるお金はこれだけなのですよと、毎回説明しています。そのなかで有効な目標達成へのベストな方法を、お互い知恵を絞りましょうということを、話し合う過程がいつも必要になります。それが、一番大変なところかなと思います。私たちのなかで、この事業を直接担当しているのは、2名のみです。2名で、一生懸命この事業を外部の人たち、関わってくる人たちとの折衝をしながらやっていっているという現状なので、仕事文化の違いを理解してもらうことが、まずは大事です。資金調達に関しては、自治体国際化協会に非常に助けていただいていますが、毎年、来年度はどうしようかというのが頭痛の種です。所長も、資金の付け替えなど、いろんなことで工夫を重ねてくれて、これを続けるように資金調達に協力してくれています。どこの財団も私たちのような協会は同じような悩みを抱えていると思います。

 

束村氏:心を砕いているというかんじで考えると、私たちNGOが地域にいさせてもらって、地域の子どもたちにとって何かいいことがあればというのが、一番心を砕いているところです。小学生、中学生、高校生たちが、国際的な活動をしている私たちと話をしたり、海外から来た人と交流することで、いろんな視野が広がっていくようなことを、なるべく入れたいと思っています。学校もいいですが、児童クラブは地域に根差して、お母さんたちがされているので、そういうところで海外の人が来た時に交流会を開いて、お料理会をやって参加してもらったり。子どもと参加できるような、お母さんとのつながりができるものということに、心を砕いてやっています。男の人たちは、仕事の関係で付き合うので、普段付き合えない子どもとかお母さんたちです。

 

帰山氏:大野市でこの取り組みを始めようとなったときに一番苦労したのは、まず議会の承認をどうやったら得られるかというところです。相当つきあげがありました。いろんな公民館であったり、自治会のほうに足を運んで、地方創生のため大野市を発展させるためにこの事業をやりたい、この事業をやることによって大野市は注目される、そして大野市の活性化につなげたいと、ずっとやっていった結果、なんとか理解が得られて、この事業を始めることができました。東ティモールはコーヒー豆が産業ですが、Uターンした若者で、大野の水でコーヒーを入れたいという人が何人かいて、カフェが新しくできています。そういった人たちが集まって、東ティモールのコーヒーを店で飲んでもらうと、売上の一部を東ティモール支援に回すとか、あるお店ではドリップコーヒーを作って、それを寄付に回すとかをしています。50代、60代のいわゆるおじさんおばさんよりも2030代の若者のほうが、そういうところに敏感に反応して、ぜひ協力したいと言ってくれたおかげで、なんとか3年間やってこられたのかな、と思っています。

 

竹内氏:みなさんアフリカと聞いて、やはり遠いと思われますよね。ほんとうに遠いんです。この距離だけはどうしても変えられません。ただ、モザンビークとニューヨークと距離は一緒ですが、なぜそんなにアフリカの方が遠いんでしょう。まず心理的にも、実際の距離も遠いということと、お金がかかるということだと思います。関わりたくてもお金がかかるので、例えば学生で行きたいという人がいてもアジアに行くことを考えれば、3倍も4倍もかかり、3040万円かかるとなると、56万円で行けるアジアと違って、アフリカは行きにくい。ここが、いつも苦労しているところです。もうひとつは、NPOとして自主事業をしっかり持ちたいですが、なかなか自立できるほどの自主事業の確立に至らないというところが悩みです。この点については、企業との連携というのをにらんでいかなければなりません。もっと地域の経済循環の中に、NPOの活動が入っていくこと。もっと対話が必要というところが、これからSDGsを進めていくうえで、またNPOも企業と自治体とタイアップして、パートナーシップのメンバーにならないといけないと思っています。そこが一番苦労しているところです。

 

堀江氏:みなさんさまざまな困難、苦労がありながら、まずは熱意を持って、かつ工夫を凝らして、今後の展開に向けて柔軟に考えられていることが、印象に残りました。今、苦労とか課題の解決策を伺いましたが、国際協力ということで日本から途上国へ貢献をするということが、貢献のみならず途上国から学べることや、その交流を通して得られること、地域に還元できることというのも出てきました。国際協力をとおして、地域の活性化であったり持続可能性への寄与だったりということで、もっとも強く感じられていることやアピールをされたいこともご紹介いただきたいです。また、SDGs時代に入り、包括的な取り組みでいろいろなセクターとつながっていくことが奨励されています。そのSDGsの理念や目標と整合していくことで、新たな改善点が見えるなど、SDGsを取り入れることでいろいろ変わると思います。みなさまの今後の活動のなかでSDGsをどう取り入れられるか、どう変えていけるのかということのお考えをお話しいただきたいと思います。

 

大森氏:今までやってきた国際協力の成果が、今の愛媛県の現状とスリランカの現状と?合わせると、私たちが助けてもらう番がやってくるのではないかと思っています。愛媛を代表するポンジュースも原料はブラジルから濃縮果汁が入ってきているというのが現状です。非常に遠いところからきています。でも、愛媛のみかんの苗木を母木としている苗がスリランカで大量に生産されています。そこから私たちのところまで、還元果汁を逆輸入することも将来は可能かもしれません。また、私たちが育てた人材が愛媛の柑橘栽培を働き手として支えてくれるかもしれません。私たちが支援したことを長い目で見てみたら、それが支援される側になるということも国際協力の不思議であり、もしかしたら醍醐味ではないかなと思っています。回り回って、いろんな環境によって立場は変わってくるということです。SDGsについては、実は、私たちは提唱される前から加わっていて、今日の発表を聞きながら、実際に私たちがやってきたことは、この中のどれに当てはまるだろうというふうに、パズルのようにやってみました。すると、結構当てはまります。無意識のうちに私たちはいろんなことをやってきていたのだなと感じています。日本が「国として世界の中でこういう役割を果たしている」と国際社会の中で声を大にして発するためには、私たちがやっているような活動をSDGsの中に正しく位置付けて、それを日本が発信できるようなかたちに束ねたものが、日本の信頼性につながるということを、改めて見直しました。SDGsを深くは知らなかったのですが、今日の日経新聞でとてもわかりやすくまとまっていました。下川町の町長さんが、ジャパンSDGsアワードをもらったということで、記事の中に「未来は与えられるものではなく、つくるべきもの」とか、「生きる役割を感じ合えるようにしたいという願いから取り組みをしている」ということが書いてありました。すると、誰にとってもSDGsは当てはまることなので、ひとつの指標として、ものさしとして、目標やターゲットを意識して埋めていくというのも、とても役に立つと思いました。

 

束村氏:途上国と関わることでどういうことが学べるかということですが、自治体国際化協会のモデル事業で、島根県で福祉の技術協力をやったことがあります。その時に、最初はこちらから技術提供をすることを主に考えていました。島根県邑南町の福祉課と保健課の方と一緒にミャンマーに行って、ワークショップをしました。彼らが言っていたのは、日本は制度が整っているので制度に基づいて何をどうしたらいいかという思考回路になってしまいます。現地に行って思ったのが、何もない中で人々がコミュニティの中で、すでに福祉をやっているじゃないかと。それが福祉の原点じゃないかという話をしました。制度も何もないところから学ぶことは、けっこうあるのではと非常に思いました。それは福祉だけではなく農業や製造でもそうだと思いますが、そういうのは技術の原点だと感じました。SDGsをどう取り入れるかというところは、農業を地域の魅力とすることに使えないかと思っています。日本も途上国もそうですが、農業離れがあり若者が都心に流出しているなかで、地方に住んで農業を担っていく人が大事になってきています。農業は、食料生産、生計確保、環境保全と3つにつながっていることなので、SDGsという世界的な流れを作っていくと。今やろうとしているのが、専門家に関わってもらおうと思っています。西日本農業技術センターの専門家の方が、有機農業を生態系や経済の分析からやっていて、彼が神石高原町でやっているので、その研究を神石高原町でも途上国のスリランカでもやってもらうことで、共通の農業の価値を作っていきたいと思っています。

 

帰山氏:東ティモールの支援だけではなく、学校やレストランなどいろんなことをまとめて水への恩返し事業としてやって、いろんなところで発信させてもらっています。おかげ様で、いろんなところで新聞を見たとか取り組みを聞いたという人がいます。そういった人たちは、こちらがとくにお願いしたわけではないですが、企業がCSRの関係でいろんな取り組みをされていて、その一例として大野市でこういうことをやっていますよということを、勝手に宣伝してくれています。そういったことは、すごくうれしいと思っています。大野市としての輪が広がって、こちらが意識しなくてもどんどん広がっているなと思っていて、非常にありがたいと思っています。

大野市はSDGsでいうと、ゴール6を中心とした取り組みになると思います。行政は17項目全てに当てはまることをやっていますが、とくに大野市は6番を中心にやっていかないとと思っています。17番のパートナーシップに関することでは、東ティモールの支援や水への恩返しの取り組みを聞いたフランス大使館の方から声がかかり、大使館に来て取り組みを説明してほしいと言われ、大使館に行って話をしました。すると、日本とフランスの交流60周年記念で事業をやっているそうで、そこの取り組みのひとつで環境問題について一緒に考えようということがあり、フランスへ来るないかという話がありました。フランスに行って水の取り組みをしているところを、自治体国際化協会にお願いしていろんなところを段取りしていただきましたが、水で有名なボルビックや3つか4つの都市を回って、そのひとつのアクド市という地中海に面した街と意気投合しました。アクド市は、モロッコで水の支援をしています。お互いに支援をしているということで、今度、アクド市と大野市がパートナーシップによって、世界に向けて水の大切さを発信しようという話になりました。現在、国際交流員としてフランスの方に大野市に来ていただいて、それをどうしていくかという仕事をしてもらっています。おかげ様で、いろんな輪がだんだんと広がってきたなと思っています。今後、どういうふうにさらに広げていくかというのが課題かなと感じています。

 

竹内氏:地域の課題解決を考えるときに、できるだけ双方向性のあるものを同時解決型で取り組んでいきたいと思っています。先ほどの自転車の問題でいうと、松山市の放置自転車の問題を市内で解決しながら、途上国の現地の武器回収に役立ったということがあります。武器アートも、武器を作らない社会をつくるということで、メッセージ性が強く、これが全国で展開されていることを考えると、なかなか平和構築というのは難しい話ですが、非常にメッセージ性の高い取り組みではないかと思っています。モザンビーク支援を通じて、日本が平和構築に対して貢献できる分野ではないかなと思っています。また、新居浜市惣開小学校で人権に関する研究大会があり、小学校4年生を対象の授業で、ESDの視点を取り入れて行いました。最初はモザンビークの数字的な状況だけを聞いた子どもたちは、「貧しい国じゃないか」「可哀そう」と思っていましたが、子どもたちひとり1人のインタビューを聞いて、「先生が教えてくれるから学校が好き」とか、「ナースに薬を貰って治してくれたからクリニックが好き」とか、対話型の学びを通じて、最後に子ども達は、「最初モザンビークは可哀そうだと思っていたけど、モザンビークにはモザンビークの幸せがあると思った」と感想を言ってくれました。それを聞いた大人たち、研究大会で聞いた先生たちが、みんなが人権を学ぶとてもいい材料になったということで、国際協力活動そのものの取り組みから人権教育に役立つことができたのが、とても嬉しかったです。愛媛は7月の豪雨災害を受けて、災害支援のところにも関わっています。内閣府の災害対策のところでは、3者連携を進めています。自治体と社会福祉協議会と市民という、市民のなかには企業やNPOや青年会議所、日本赤十字社などが入っています。3者連携に取り組みんでいて、今後も違う立場の人たちが一緒になって取り組んでいかないといけないのかなと。それがSDGsを達成する上でも重要だと思いますし、社会を変えていく力になるのかなと思っています。SDGsが決まった時、世銀が「もう先進国とか、途上国とか言わない」と決めたかと思います。もう対途上国で、先進国がどうにかするというのではなく、人として対等な関係のなかで国際協力活動が進められるべきなのかなと思います。

 

堀江氏:深い示唆をいただいたと思います。ここでフロアからコメントや質問を受けたいと思います。扱う範囲が幅広かったですが、思い返しながらお願いします。

 

参加者1:ODAは日本政府が出している国際協力の資金ですが、その大半をJICAが担当させていただいています。ただ、JICAという組織を知らない方が大半ではないかと思います。誤解があると思いますが、SDGsは慈善事業ではありません。日本の子どもが過去を知る、あるいは日本の足らない部分を知る事によって、SDGsのひとつひとつを学んでいくと、いかに自分たちが恵まれているか。一方で恵まれていないのかというのではなく、将来、日本も足らなくなるかもしれないということを学んで、かつ世界に違う人がいるということの情操教育になるのではないでしょうか。中学生、高校生になれば人権育成です。グローバルな社会の中で、いかに日本人として振る舞っていくのかということを正しく学ぶ上で重要です。それから世界平和の実現を、世界が安定しないと日本も安定しないということです。SDGsは、企業にとっては利益を得るための非常に重要なツールです。世界の中で融資系の事業で、SDGsの名前を使えることがたくさんあるので、それを使わないのは非常にもったいないです。ビジネスチャンスが構築できます。地方ができることというのではなく、地方にしかできないことのほうが多いと思います。みかんも四国の防災も、東京ではできません。防災の技術や企業が制作している防災の製品は東京にありますが。熱帯系の病気の研究も、沖縄、長崎で盛んです。国際協力を考えたときに、日本が辿ってきた過程を見れば、地方にしかないできないことのほうがむしろ多いと思います。今回の参加者が、そういう認識で帰っていただければと思います。今回の参加者で、国際協力に専門的に関わっていない人がいらしているのかなと。そういう方たちに、SDGsというものを自分の日常に直接的に関わっているということを、意識をしてほしいです。SDGsを達成しないということは、日本では対岸の火事だと思っています。ガーナチョコレートがなぜガーナというかというと、日本のチョコレートの8割がガーナから来ているからです。もしガーナからカカオが入ってこなければ、日本のチョコレートの価格は3倍になります。ようは、日本はもうそういう時代にきているということです。タイで洪水が起きた時に、日本の電子系の会社はタイに作業所を持っているので、1週間ほど閉鎖したということがあります。さかのぼれば、チリで起きた大きな地震で、東北地方に津波がきました。世界で起きている事業は決して対岸の火事ではありません。世界の安定には、日本の技術は国際協力という面でも企業という面でも活用できることがたくさんあるだろうと思います。情操教育に非常に有効に使えるものだと思います。JICAも地方自治体やNGOの方をサポートさせていただくプログラムをたくさん持っています。企業が海外進出するにあたって、資金をサポートさせていただくスキームもたくさんあります。何かありましたら、各県に推進員を国際交流協会に配置していますので、ご連絡いただければ高松の方に情報が来るようになっていますので、よろしくお願いいたします。

 

参加者2:内閣府が、SDGsはまだ知られていないと、テーマを出したと思います。これからは団体や行政ではなく、住民や若者がこれからの21世紀を背負っていくので、そういうテーマの受け入れ態勢を作っていけるのではないかと思っています。全てががんじがらめになってしまっていると思います。選挙の投票でも、45%が行っていません。そんななかでも、今日は大久保さんがテーマを与えていただきました。子どもと一緒にお母さんとするとか、そういうことが中心となって、主役を変えていかないといけないと思います。それを支援するのが行政であったらいいのではないかと、私は思いましたがいかがでしょうか。

 

大久保氏:私たちがKPIとして設定しているところで、課題に対して非常に貴重なご意見だと思っています。今日のような有益なセミナーの場に参加させていただいて、国の取組であったり、普及展開のことをお伝えできるのは、内閣府としても非常に貴重な場だと思っています。ただこれを、全国に1788の自治体がありますが、津々浦々まで回ることは困難な状況です。。これを、どう住民レベルにまで落とし込んでいくのかが、重要な課題となっています。自治体の会議などに参加させていただくと、取り組んでいる施策などを市民にアンケートを取ると、SDGsなんて知らないとなっています。自治体担当者の方も悩んでいるのではないかというのが、私の所感です。ある自治体はSDGsに対して早期に取り組んでいて、市区町村の方針の中に入れています。どう市民レベルにまでブレイクダウンするかについて試行錯誤するなかで面白い事例だなと思ったのは、市のイベントやお祭りがあった時にSDGsコーナーを作って、ダーツをします。17個のゴールのパイチャートを作って、回して子どもにダーツを投げさせます。当たったゴールに、自分だったら何ができるかということを書かせて、親と一緒に貼り付けていきます。何を書いたらいいかわからないと、そこでこのロゴを覚えます。SDGsは難しい単語ですが、自分が今できることや将来的にできることは何?という聞き方をすると、意外といろんなことを書きます。例えば貧困をなくそうなら、ご飯を残さずに食べますや、安全なトイレと水を世界中にでは、ちゃんと手洗いしようかな、などが出てきます。自分事に置き換えた取り組みが、市民レベルまで落ちていく事例がありました。これが正解ではないと思います。いろいろな取組を市民レベルまで落としていったときに、どういうことをすればいいのか。例えばパンフレットを作ったり、CMを作ったり、それをYoutubeで流したり、やり方は千差万別だと思います。自治体レベルで取組を推進していこうと思っても、市民の方がついてこないとなかなか難しかったり、地元の企業がそこに向けてがんばっていかないと、全体として取組が進まないということもあると思います。そういったこともいろいろ事例が出てきて、成功事例は発信されてくると思うので、ぜひ参考にしていただければと思います。

 

堀江氏:もう少し質問をお受けしたかったのですが、時間があるので最後にパネリストから一言お願いします。

 

竹内氏:今日はSDGsをテーマに、こんなにたくさんの方に来て頂き、SDGsの最初の一歩が大きく踏み出せたと感じています。今日ここに集まった方々と、またSDGsカードゲームや、もっといろいろな学び方がありますし、ピコ太郎のSDGsダンス、国連のホームページにアクセスすれば、いろんなバージョンでSDGsを伝えるものもあります。これから一緒に勉強会をしていきたいと思います。今日はありがとうございました。

 

帰山氏:今日のシンポジウムで、ひとりだけ浮いているような気がしていました。自治体関係で、とくに国際協力を前面に出してやっている訳でもなくという感じでしたが、こういう場をいただいて私の裏の目的の、大野市を知ってもらいたいというのがあるので、みなさんにちょっと大野市を知ってもらえたという面では、来てよかったと思っています。つたない話しかできませんでしたが、ありがとうございました。

 

束村氏:今回参加させていただいてずっと考えていていたのが、途上国の人とか先進国の人とか、属性は関係ないのではないかと、だんだん思ってきています。真剣に同じ課題を追いかけている人たちが、ひとつの場所に集まって意見交換したり、議論を投げ変わすことで、新しいものを生み出すというか、気づかなかったことに気づいたりとか、新しいことが生まれてくるような気がしています。私は愛媛県出身で、今後とも愛媛県との関わりを継続できればと思っています。よろしくお願いいたします。

 

大森氏:私たちの協会にも多くの外国人の方が訪ねて来られますが、その人たちからも、また私たちが海外に行った時も、日本ってすごいよねと、日本の信頼度は海外に行ったらすごくよく分かります。日本にはそれだけ信頼度があるということは、東京や大阪だけが元気なのではなく、人間の体と同様に、地方も都市も元気であり、日本全体が元気であるということで日本の信頼が保たれるということになると思います。これから先、地方から発信して世界に日本をアピールする機会は増えてくると思います。地方を元気にするために、国際協力にあまり関心を持たなかった人をどれだけ巻き込むか、普通の人をどう巻き込むかが、私たちの課題だと思うので、そこに知恵を絞って、今まで会ったことのない人を私たちが取り込めるような工夫をしていきたいと思います。私たちがスリランカで取り組んでいるみかんの名前は、「ホナラ・エヒメ」です。スリランカに行った時は、ぜひ食べてみてください。

 

大久保氏:こういったセミナーに参加させていただいて、国や内閣府の取り組みをお話しできた機会はありがたいなと思う反面、国際協力というキーワードの下に、いろいろなNPOや自治体、地域の方が取り組まれていることを、より一層発信していかないといけないのかなと。ある意味、今後の方向性、課題のようなものが見えたのではないかと思います。せっかくいい取り組みがあるので、これを全国レベル、世界レベルで地域を発信していくといいうことが、次のステップかなと思っています。このようなセミナーを継続的にやっていただいて、全国の方々にこういったかたちで取り組めるんだなと、リアリティのある話が発信できればいいのではないかと思っています。また、国際会議の場で、日本の自治体だったり日本のモデルのようなものを発信できる素地をきちんとつくっていきたいと思います。

 

堀江氏:今日、みなさんとの議論を通して、国際協力と地域の課題への取り組みということのシナジーというか、取り組みの循環であるとか双方のもたらされる学びが鮮明に出てきたと思っています。地域に住む私たちの役割は、地域だからできるということ、地域から発信することが大事だと思います。3年前に東京から来て気づいたのは、東京の人たちは地域のことを知りません。地域の課題について、途上国との双方向の学び合いもありますが、都市部との交流ということもあると思いますし、SDGsという共通のキーワードを持って多面体な広がり、つながりがもたらせるのではないかと思います。そのための変革の担い手に、私たちひとりひとりがなっていけるといいのではないかと思っています。今日はありがとうございました。

  

 

 

 

 


以上

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